私はいわゆる「ハーフ」だ。アメリカ人の父親に、日本人の母親がいる。アメリカで生まれ育った私は、ずっと自分のことを「日本人」だと思っていた。家では日本語を話し、母の作った和食を食べ、日本のドラマなどを見ていた。土曜日には補習校へ通い、国語と算数を日本語で勉強していた。一時帰国で母の実家に遊びに行った時も、地元の人と同じように大阪弁で話し、小学校で体験入学をしたときも普通に友達を作り、一緒に遊んでいた。何も違いなど感じなかった。
今は大学進学のため、日本で暮らしている。今でも自分は自分のことを「日本人」だと思っているか、周りの人はいつもそうは思っていないことを感じることもある。アメリカで住んでいた時は外見も「アジア人」として見られていたが、日本では「白人」として見られることがあるらしい。主な体験としては、二つある。
一つ目は、大学のサークルの人と「日本人とは」っていう話をしていた時があった。その人に「日本人っていうのは見た目と日本語が話せたら日本人だ」と言っていた。「じゃあ私は日本人じゃないの」と聞いたら「うん、そうなるね」と言われた。また、「私の友達の日系アメリカ人が日本語を普通に話せたらにその人は日本人になるの」って聞いたらまた「うん」と言われた。
私は自分のことを日本人だと思っていて、日本の国籍を持っているのに、なぜそのような定義で私を日本人と言わないのか、と怒っていたことを覚えている。自分自身のアイデンティティが否定されているように感じた。
二つ目は、大学の授業で「メディアと外国人」というレクチャーを受けていた。教授が八村ルイと大坂なおみの写真を見せ、「この人たちは日本人だと思いますか」って聞いた。
クラスのほとんどの人は「思います」って手を挙げた。
八村ルイに関しては、一人が「この人はだれか僕は知らないんですけど、見た目からすると日本人ではないと思います」って言ってた。個人的には、誰か知らないのであれば、それはしょうがないかも、納得できると思った。
次に、大坂なおみについては、たまたま授業を聴講していた社会人(30代ぐらい女性)が発言した。その人は「この人は日本語があまりできないし、日本人にあんまり見えないから日本人とは思えない」と言っていた。 この発言に対して私はとても苛立った。私は自分を日本人だと思っているが、外見は日本人に見えないかもしれない。そして、自分の日本語力に自身が持てない時もある。しかし、私は自分のことを日本人だと思っている。勝手に人のアイデンティティを定義するな、とまた思った。
授業後に別の社会人の方と話していた時に、その後その人も会話に入り込んできたので、その時に「自分のアイデンティティは自分で決めます、私はアメリカで育ったし、日本語より英語の方が得意だけど、私は自分の事を日本人だと思っています」とはっきり言った。そうすると、「勝手に他人を人が何人かは決めたらいけないんですね、難しいですね」と言っていたので、少しは理解してもらえたかなと思ってほっとした。
授業に参加していたほとんどの学生は、八村ルイも大坂なおみも日本人だと認めていたことや「日本人」にも多様性があることを理解しているということをとても嬉しく感じた。自分も認められているように感じた。
それでも、区別されるときはやはり否定されているように感じる。「あなたは別」「あなたの居場所はここじゃない」と言われている感じがする。外見や日本語力だけで判断するのではなく、個人個人の意見やアイデンティティを尊重してほしい。
by な